尊敬語と謙譲語は天秤で考えよう

今回は尊敬語と謙譲語について、宇宙一わかりやすく書きます。

あれ、どっちがどうなんだっけ?」 と思ったら、ちょっと読んでみてほしいです。

学生よりむしろ社会人が意識してほしい内容です。

 

正しく尊敬語・謙譲語が使えていますか

まず、自信をもって正しく尊敬語・謙譲語を使えていますか?

尊敬語、謙譲語、丁寧語・・・明確に使い分けているでしょうか。

 

誤った用法があまりに多い

話が進まないので、この際、わたしが正しいと断定して書きます。

社会人になって上下関係が濃くなり、メールのやりとりが増えてからというもの、気になってきました。

尊敬語、謙譲語の誤った使い方があまりに多い!

年齢、文系/理系、職種などはあまり関係ありません。

なんとなく適当に丁寧な感じにしておけばいいか、という文章が多いです。

そういう気持ちを込めていれば本質的には良いのかもしれませんが、せっかくなので正しく使いたくはないですか?

誤りの理由と、どうなると正しいか、という辺りをまとめてみたいと思います。

 

そもそも尊敬語、謙譲語とは

そもそも、尊敬語と謙譲語、ついでに丁寧語とはなにか。

 

尊敬語

尊敬語というのは要するに、相手を敬う言葉です。

相手自身や行動、相手が所有する物なんかも敬意を払う対象になります。

 

謙譲語

対して謙譲語とは、自分を貶める言葉

「すばらしいあなたと、それに比べれば大したことのないわたし」というニュアンスです。

自分を下げることによって、相対的に相手を上げる効果があります。

 

丁寧語

自分と相手の関係というよりは、聞く人・読む人に対して敬意を払う言葉。

~だ ~である じゃなくて、~です ~ます の方。

メールとかは基本的に丁寧語ですね。

ちなみにこのブログも、端的に書くとき以外は基本的に丁寧語です。

 

天秤をどちらに傾かせるか

要するにですね、尊敬語と謙譲語は、相手と自分の天秤を上げ下げするってことなんですね。

尊敬語と謙譲語を考えるにあたって「相対的」というのが大事です。

尊敬語: 自分よりも相手を上げる

謙譲語: 自分を下げることで相手が上がる

尊敬語 謙譲語 天秤

これが、尊敬語と謙譲語の基本的な考え方です。

丁寧語はこの関係性には基本的に影響しません。

丁寧語じゃない「先生が仰っていた」でも尊敬語です。

丁寧語である「そちらに行きます」は尊敬語ではないです。

 

正しく使おう尊敬語と謙譲語

では実際に、どういうときにどっちを使うのかという話をしましょう。

天秤とはつまり、相手と自分に差をつけるということです。

なので、どういうときに誰と誰にどういう差をつけるか、ということです。

 

敬意を払う相手がする行為・物、自分がする行為・物

敬意を払う相手がする行為や物には尊敬語です。

相手が「言う」なら「仰る」、相手がしてきた「連絡」は「ご連絡」。

自分がする連絡はご連絡じゃないですし、自分→相手の報告はご報告じゃないです。

 

天秤で考えれば、相手も自分も「ご連絡」を使うということは天秤が水平になった状態です。

相手と自分を対等に扱うということは、敬意を払うということからは外れるわけです。

 

敬意を払う相手、身内の区別

敬意を払う相手に対するとき、身内の扱いは自分と同じようにします。

 

会社で考えましょう。

お客さんと社長、そこに自分が入る場合。

お客さんは敬意を払う対象ですが、社長には敬意を払うべきではないです。

どんなに偉くても、対お客さんで考えれば、社長は身内。

呼び捨てですし、尊敬語も使いません。

 

これも天秤で考えます。

お客さんと社長の両方に尊敬語を使った場合、お客さんと社長の天秤は水平になります。

すると、お客さんを身内同等に扱っていることになります。

日本語ではこういう状況は「身内くらい仲良し!」とはならず、敬意を払ってないことになります。

 

番外編

最後に、よくある変な言葉を紹介します。

 

部長様 課長殿

役職は敬語扱いなので、いわゆる二重敬語です。

様はダメで殿は良いなど、現在では解釈もさまざまあるみたいですが・・・いやーダメだろ!

それがいいんだったら様も様々にしたほうがいいし、もう様々殿とか書いておけばいいです。いやダメです。

 

仰られる

やりがちですが、これも二重敬語です。

「仰る」+「~られる」ですね。

 

おられますでしょうか?

電話で言った・言われたことありませんか?

「おる」は謙譲語ですが、「~られる」は尊敬語。

天秤がどうなるのか・・・

 

ちなみにエネチケイにこんな記事があります。

なかなか難しいですね。

 

まとめ

尊敬語と謙譲語の話でした。

エネチケイの記事にあるように、言葉は常に変化していくもの。

正しい/誤りの基準も、相手とルールを共有できていてこそのものです。

つまり、正しく理解していない人が増えたら、もともとの正しい日本語も誤りと判定されるかもしれません。

ここまで書いておいてあれだけど、結局は相手がどう受け取るかってことなんだよなあ・・・

仕事

Posted by hircos