やりがい搾取で家族を犠牲にするな
今回は、仕事のやりがいと家族との時間について書きます。
独り身だとちょっとピンとこないかもしれません。仕事にやりがいを感じている人、パートナーが仕事大好き人間な人にぜひ読んでもらいたいです。
やりがいのある仕事はいいことだ
やりがいを感じる仕事ができるということはとても幸せなことです。生きていくための金を得るだけではなく、気持ちの面でも充実するなんてとても良い。
できること=やりたいこと
私は仕事に対してやりがいを感じることはあまりありません。できることなら人にお願いしたり謝ったり嘘ついたりしなくてもいい仕事が良いですが、そんな「一人で黙々とやる仕事」というのはそうそうありません。
つまり現状は「できること=やりたいこと」ではない。だけど一応は責任をもって人と関わり仕事をしてるわけで、その対価として給料を貰っています。仕事ってそういうもんジャン……?
やりたいこと≠稼げること
やりがいの中には「高い給料」というのもあるんじゃないでしょうか。給与という形で評価されることがやりがいになる。
でもやりたいことで高い給料を稼げない場合も多々あります。「やりたいこと≠稼げること」という状態になり、その場合のやりたいことは趣味になったりするわけですね。
趣味が高じて仕事になり、かつ他のことを仕事にするよりも稼げるとしたらそれは素晴らしいことです。文字通り、人生が変わるでしょう。しかし趣味で稼ぐのはなかなか難しいし、稼ぐことを考えないから趣味にできるということもあるでしょう。
逆に言えば、稼げないことを仕事にするべきではありません。そんなの当たり前かと思いきや、「やりがい!」とか「自己実現のため!」とかでそういう仕事も多々あるんじゃないでしょうか。
やりがいのある仕事に就ける環境
以上のことから、やりがいのある仕事で金銭的にも余裕があるということがとても難しいと分かります。
一人で生活するぶんには収入がおざなりになっても大したダメージはないですが、家族がいるとなるとやっぱりまた別な話。すでに「一家の大黒柱」という時代ではありませんが、それにしたってじゃあ誰が金銭的に支えるかというのは根本的には消せない課題です。お金は大事です。
つまるところ、「やりたくもない仕事をやって家族を支えるのは誰か」ということに尽きます。
やりがいのある高給な仕事をやって充実した人生を送る、なーんてのは極々一部の人のみ。現実はそう甘くはありません。嫌な仕事だからこそ給料が貰えるってものです。
やりがいの犠牲に家族を捧げるのか
さて、やりがいのある仕事というのは仕事としてなかなか難しいということを書いたわけですが、やりがいのある仕事をやるにあたって犠牲にするものは何か。
長時間労働が悪
やりがいのある仕事だからって仕事ばっかりやっていいわけじゃない。働く時間が長ければ、それは長時間労働という括りで同じことです。仕事している本人はやりがいを感じて生き生きとしているかもしれませんが、家族にとってはそんなことは関係ありません。
仕事が忙しくて家事を全くしないことはよく批判されますが、仕事にやりがいを感じてのめり込むことが悪いことだとはあまり言わないかもしれません。が、それはやりがい搾取です。自己実現は大いに結構ですが、家庭を顧みずやっていいかと言うとそうではないと思います。
いわゆる社畜のように働かされ精神的に疲弊することはもちろん悪ですが、それよりもそもそも長時間労働が悪です。だから本人が望んで長時間労働したとして、それは家族にとって悪です。
この際なので書きますが、家事しないのは悪!
働く場所に依らず
もちろんこれは働く場所に依りません。自宅勤務にして長時間労働であれば同じ事。いざというとき便利なのは間違いないですが、家にいりゃいいってもんじゃないです。近いに越したことはありませんが、やっぱりそもそも「労働時間が適切である」ことが大事だと思います。
労働時間の短縮を
とにもかくにも、労働時間をいかに短縮できるかをよく考えるべきだと思います。短縮して得た時間を何に使うかはもちろん個人の自由ですが、家事・育児に充てられたら良いかなと思います。
最近では「働き方改革」という言葉が横行し内容はよく分かりませんが、短時間でバチッと働き、それ以外は家庭なり趣味なりに時間を使うってことじゃないですか?
そういう時代がくるわけですので、いつまでも仕事ばっかりじゃあダメです。家事育児もビシッとやらんといかんのです。