家の話 スタディコーナーについて

2024年4月14日

今回は家の話、スタディコーナーについて書きます。

スタディコーナーいらないかなーと思っています。

スタディコーナーというもの

ファミクロ、シュークロと同じく、注文住宅界隈ではよく目にするスタディコーナー。

ちょっとした勉強スペース

意味はそのまま、勉強するためのちょっとしたスペースです。

子どもが勉強するために設けられた、ちょっとした机がある場所。リビングであったりスキップフロア(中二階)であったり、部屋丸々ではなくて本当にちょっとした机があるコーナー。

リビング学習

ちょっと前に「リビング学習」なんてものが流行ったりしましたが、つまるところは同じような考えです。

リビング学習については、親の目が届きやすい場所で勉強させることによって緊張感を持って勉強できるとか、分からなければすぐに教えられるとか、生活音がある方が集中力が鍛えられるとか、東大生のxx%が実施していた!とか、なかなか眉唾物なんですが……。

いろんな思惑があってリビングで勉強させたいという希望と、消しカスを食卓に散らかされたくないという要望から、勉強するためだけの机をリビングに設けたいというところに落ち着いたという感じでしょうか。

大人も使える

使用するのは子どもに限ったことではなく、大人だって有効に使えます。本を読むなり、何か書くなり、資格とかの勉強をそこでするなり、机があれば何かと使えるかと思います。

いらない派の考え

個人的にはスタディコーナーはいらないとすぐ思いました。

集中できるわけなくね?

自分がそこで勉強する側になって考えてみてほしいんですけど、誰かに見られながら何かやるって集中できなくないですか? 個人差あると思いますが私は絶対に嫌なので、子どももきっとそうであろうと決めつけてスタディコーナーは要らないなと思いました。

見られることが大嫌いな私が書いた他の記事もご参照いただき、共感できる方はきっとスタディコーナーは不要です。

「コイツ何をそんなに気にしてんだ?」と理解できないアナタは、スタディコーナーどうするか一考の価値ありです。もしかして逆に、集中できない環境で集中して勉強できてこそ鍛えられる!っていう発想なのかな?

そんなに長い間は使えない

まさか子どもが中学生、高校生になってもリビング学習なんてやらないと思うんですが、そういう意味でそんなに長く有効活用できるようなスペースにならない気がします。

見ててほしがる期間も見張らなきゃいけない期間も、きっとそんなに長くないって。数年したらきっと自分の部屋(あれば)で勉強したがるだろうし、それこそ思春期で難しいお年頃になれば一人で過ごしたいこともあるでしょう。そっとしておいてあげましょう。

「子どもが使わなくなったら大人が使える」というのも私は否定的です。本ならソファで読めるし、勉強は食卓でもできるし、消しカスを散らかしたりしないのが大人ってもんです。そもそもそんなに本格的に勉強するんだったら書斎でも何でも確保したほうがいいです(夫婦ともに)。書斎が確保できないならその広大なリビングを削れ!と私は申し上げたい。

勉強中は何もできない

スタディコーナーをリビングに設ける場合、お子様が勉強中は何もできません。というか勉強してほしくてわざわざコーナーを設けているわけなので、何もすべきではないでしょう。テレビも観れない、音楽も聴けない、会話も憚られます。

「勉強は学校でするもんだ!」なんて昭和的発想のご家庭は少ないと思いますので、そうなるともうスタディ様様です。どこまでが生活音かという問題もありますが、窮屈を強いられそうです。料理くらいはできるかもですが、そもそも料理しながら勉強教えるってお互いのためにならなくない?

なので、勉強させるにあたってできなくなることがいっぱいありそうだなと思いました。

散らかりそう

単純に、スタディコーナーって散らかりそう。まさかその日の勉強に必要なものをスタディコーナーにいちいち持ってきて勉強するわけないよね?教科書とかドリルとか筆記用具とか置きっぱなしでしょ?散らかりっぱなしになるじゃん。

それをまさか大人が片付けるわけじゃないよね?そのスペースを小奇麗に保てるのはよほど訓練された子どもじゃなかろうかと思うわけです。

きょうだい一緒に、というのはエゴである

「きょうだい並んで仲良く勉強」とか「上の子が下の子の勉強を見てあげてる」とか、そういうスタディコーナーの使い方もあるみたいです。

これは親のエゴである。そんなに仲良くできないきょうだいもいるし、上の子が下の子に邪魔されてるという見方もできる。そんな使い方マジで一瞬だって……。自分がお兄ちゃんお姉ちゃんだったら嫌じゃない……?

まとめ

スタディコーナーについて、いらない派の意見でした。

私の主観的・性格的なところが多分に含まれていますが、家の話ってそういうもんだから!

それと、大人になっても夫婦それぞれ勉強できるようなスペースは欲しいもんですね。

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